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「探究的な学び」は大人が徹底的に手放すこと | お知らせ | ヒトノネ 育ち合う社会を
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「探究的な学び」は大人が徹底的に手放すこと

「探究的な学び」は大人が徹底的に手放すこと

こんにちは、篠田です。

やっと梅雨明けして今年の夏休みがはじまりますね。

ヒトノネは先週から夏休みの預かりをスタートしています。

コロナの感染対策で消毒・手洗い・換気しながら

いつもとは少し違う夏休みがはじまっています。

 

さて、今日はお知らせは特になくて、ただのブログです。

少しお付き合いくださいね。

 

探求的な学びとSTEAM

皆さんは「探究的な学び」という言葉を耳にされたことがあるでしょうか。

ヒトノネが常に目指しているのは

「STEAMをつかった探究的な学び」です。

どんな子どもたちにとっても、個別かつ協働化した学びの場でありたいと思っています。

そのために、安心して挑戦できる場を作るのも私たちのミッションです。

といっても、STEAMとか探究的な学びなんて言葉は、いまいち馴染みがないですね。

STEAMとは、science、technology、engineering、art、mathematicsの頭文字。

それらを組み合わせて問題解決していく学びを指します。

(Artのなかには私はMusicやHomeEconomicも入ってると思っていますが)

とても平たく言うと

「なんでだろう?」「面白そう!」と思ったそれぞれの興味を起点に、その課題に向かって、いろんな方法を試行錯誤して解を見つけていく、という行動そのもののことです。

そこに正解はありません。

なんで?どうして?こうしたらいい?ああかもしれない?やってみる、やってみた、失敗した、改善しよう、できたけどちょっと惜しい、どうしてこうなったんだろう?もっとここ工夫できるかも!

この行為すべてが、探究的な学びです。

夏休みの自由研究がまさにイメージしやすいなもしれません。

(親がヒィコラ言って慌てて子どもの工作をするやつでなくてね。)

大人は答えを教えるのではなく、一緒に方法を考えて、やってみる気持ちを応援する。

その都度、ヒントになる適切な素材や道具を置いておくのも肝なのですが、

必要なタイミングで道具の使い方や必要な知識、

良質な問いを生み出すのがまたこちらの力量が図られる時でもあります。

時には、子ども以上に熱中したり楽しんだり悪戦苦闘する姿を見せることも重要です。

 

たまにヒトノネでは「先生だけで盛り上がってるやんー」という状態があります。

たとえば先生たちだけで郡上踊りを踊ってみる。
(郡上踊りってほんと心底楽しいんですよ、これがまた)

で、子どもたちはそれを横目にしらーーっと本を読んでいる・・・

人前で踊るなんて、ちょっと恥しいですからね。

だけど、大人があまりに楽しそうに踊っている様子をみて、

ある一人の子が「ちょっとやってみよか」と腰をあげる。

すると、実は気になっていた別の子も「私もやってみるわ」と参加してくる。

あとは子どもたちが勝手に作り上げていくので、それを支える側にまわります。

子どもたちは踊りの天才です。

(実は大人が郡上踊りを踊ったのには理由があって「祭り」をテーマに探求を進めてみようかという裏目的があったのですが、その話はまた別の機会に)

 

その場がどうなっていくのか、

そのゴールは設定せずに子どもが自発的に動くのを「待つ」。

実はとっても難しいのですが「待つ」んです。

「うちの子は待ってても多分なにもせずに他のことしてるに違いない。。。」

そう思ってしまうのもよくわかります。だけど、「待つ」。

深い学びは、自分がそうしたい!と思った気持ちからでないとスタートしないのです。

スイッチを押すのは子ども自身。

 

子どもたちの「?」スイッチを刺激するために

ヒトノネではさまざまな外部講師をお招きして、「本物体験」をしてもらっています。その体験が、最初は与えられたものかもしれないけれど、経験のストックになって、自分の興味や課題のヒントになることもあります。

自分から問いを立てるのはある意味、上級者。

探究的な学びを実践するには、やはりその学び方の経験が必要なのです。

算盤やるにも「型」があるように、探究的な学び方も思考回路の「型」はやはりあって(もちろん道筋やアウトプットは全然違う)、学び方には経験が必要です。

そろばん、習字、ピアノ、と同じように、

「探求的な学び」もある程度の経験があったほうが伸びます。

(そして、これから進学・就職していく子どもたちにはそういう力が試される機会が私たちより断然多い)

 

そういうわけで、夏休みという絶好の機会を使って、

ヒトノネではある程度はこちら発信でのカリキュラムを作っています。

今年の夏は金融機関の方や、蜂蜜を作っている方、左官屋さんや和菓子屋さん、魚屋さんにパティシエ、バリの伝統音楽をやっている方、エンジニア…バラエティに富んだプロが来てくださいます。

でもそれはあくまで活動の大きな輪郭のようなもので、きっかけのひとつであって、

ベースは子どもたちの自由な興味関心です。

その活動をやりたくない子には無理にやらせませんし、

興味が湧いた子どもには想定以上の発展の場も用意します。

もちろん、お友達と話したり、協働して何かをやったり、

それなりの問いや答えを導き出すのが苦手な子どももいます。

そもそも問いを立てるのは、先ほども言ったように難しい。

だから、苦手でも興味がなくても、全く問題なし。

それぞれ興味を持つテーマが違うのだから、

一斉に何か課題をやらせるということが既に探究から外れてしまうわけです。

楽しいな、好きだな、けっこう友だちと一緒にやってみるの面白いかも、と

共感や共創を経験するだけで万々歳。

友だちとやるより1人の方がいい!が気づきでも、とってもグッドなのです。

自分をまたひとつ認識できた証。

いやいやそれでも、集団行動はある程度大事。
お友だちと一緒に、言われたことをやってほしい。

 

という保護者の気持ちも痛いほどわかります。

私も3人子どもがいます。発表会でうちの子ひとり微動だにせず石像のようにしていた姿をみて、あーぁと思った経験もあります。

よくみんなに合わせず頑なさを守ったわ、とあとから褒めてあげましたが(笑)

 

はっきりいってしまいますが、

みんなと同じことをやる集団行動。そんなに大事でしょうか? 

集団での規律を学ぶ機会は、学校で十分できます。

そもそも教室に集団でいなければならないのは大人が教室という場で1対集団が現状最も教えやすいため、です。集団から外れると困るのは大人、子どもからしたらその学びが楽しくなかったんです。楽しそうだなと思ったら、子どもは教室に戻ってきます。

もちろん、人に迷惑をかけるとか、危険な行為や、礼儀を欠いた行動は指導が必要ですが。

未来を生きるのは子どもたち。

今からの未来を生きる子どもに必要な力は、横並びに整列する力ではない、と断言できます。

とくにヒトノネはアフタースクールですから、学校という義務教育で学ぶ必要のある単位や評価のある場とは少し違います。子どもにとっては遊びの場でありリビングで、子どもたちは遊びながら学校の教室とはまた違った学び方をしています。

安心してください。本当に子どもたちは遊びながら学んでいます。人生に必要なことを。

道具の使い方やご飯の美味しい炊き方、助けて欲しいときのヘルプの出し方、友達の誘い方、喧嘩したあとの仲直りの方法、社会の横の繋がりや、社会のいろんな人たちの仕事が自分の生活につながっていることを、ここで学んでいます。

 

安心できるから、冒険もできる。

不透明な時代だからこそ、たくましく、これからの未来を生きてほしい。

自立した大人になってほしい。

 

ヒトノネのかわいい子どもたちの未来を願って

この夏も、たくさんの遊びと学びで過ごしたいと思います。

私たち大人も、冒険を忘れずに。

 

Kちゃんが木登り途中に困っていたのをすかさず手伝ってあげているTくん。優しいね。